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文学散歩 樋口一葉

投稿記事「文学散歩」を書くにあたり、樋口一葉を外すわけにはいかない。しかし私しは通り一遍の樋口一葉しか知らない。従って「Wikipedia」で勉強することにした。それを書く。 出生から少女時代 一葉は1872年5月2日(旧暦明治5年3月25...
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文学散歩 与謝野晶子 君死にたまふことなかれ

与謝野晶子が、日露戦争で旅順に出征していた弟のために詠んだ反戦詩が、「君死にたまふことなかれ」です。 与謝野晶子は、青踏社(婦人解放運動を目的にした出版社)に詩歌を載せてます。青踏社と言えば平塚らいてうが中心となった運動です。この運動は、戦...
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文学散歩漱石こゝろ 先生の遺書 先生の死

「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟しげきで躍おどり上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否いなや、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そう...
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文学散歩漱石こゝろ(先生の遺書ーKの自刃)

「私の気分は国を立つ時すでに厭世的になっていました。他とは頼りにならないものだという観念が、その時、骨の中まで染しみ込んでしまったように思われたのです。私の心は沈鬱でした。鉛を呑んだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は...
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文学散歩漱石こゝろ(先生と私)

私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だかここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執も心持...
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文学散歩 漱石こゝろ(先生からの手紙)

私には先刻懐ふところへ入れた郵便物の中を開けて見ようという目的があった。それは病人の枕元でも容易にできる所作には違いなかった。しかし書かれたものの分量があまりに多過ぎるので、一息にそこで読み通す訳には行かなかった。私は特別の時間を偸ぬすんで...
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文学散歩ー高村光太郎 道程

どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る 道は僕のふみしだいて來た足あとだ だから 道の最端にいつでも僕は立つてゐる 何といふ曲りくねり 迷ひまよつた道だらう 自墮落に消え滅びかけたあの道 絶望...
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文学散歩ー高村光太郎 智恵子抄

妻智恵子が南品川ゼームス坂病院の十五号室で精神分裂症患者として粟粒性肺結核で死んでから旬日で満二年になる。私はこの世で智恵子にめぐりあったため、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の廃頽生活から救い出される事が出来た経歴を持って居り、私の精神...
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文学散歩ー漱石草枕

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟た時、詩が生れて、画が出来る。 人の世...
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文学散歩 漱石 吾輩は猫である

吾輩は猫である。名前はまだ無い。  どこで生まれたか頓と見當がつかぬ。何ても暗薄いじめじめした所でニャー/\泣いて居た事丈は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間で一番獰惡な種族であつたさ...